| 2026年6月30日(火)鑑賞 イオンシネマ岡崎(スクリーン10 D-8) |
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2026年6月19日(金)公開 / 上映時間:196分 / 製作:2026年(仏=日本=独=ベルギー)
/ 配給:ビターズ・エンド
【監督】 濱口竜介
【キャスト】
マリー=ルー・フォンテーヌ:ヴィルジニー・エフィラ / 森崎真理:岡本多緒
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清宮吾朗:長塚京三 / 窪寺智樹:黒崎煌代 / ジブリル:ガブリエル・ダマニ
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オリヴィエ:ジャン=シャルル・クリシェ / ヴァネッサ:エロイーズ・ジャンジョー
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ソフィ:マリー・ビュネル / アディジャ:セフォラ・ポンディ /
ダミアン:ロマン・コタール / マリオン:アイディ・ベッケル・バベル /
ロランス:マリー・ドゥナルノー |
【あらすじ】
パリ郊外の介護施設「自由の庭」で施設長を務めるマリー=ルー・フォンテーヌ(ヴィルジニー・エフィラ)は、入居者を人間らしくケアすることを理想としながらも、人手不足やスタッフの無理解に悩まされていた。そんな中、日本人の舞台演出家・森崎真理(岡本多緒)と出会ったマリー=ルーは、がん闘病中の彼女が描く演劇に勇気をもらう。同じ名前の響きを持つ偶然に導かれて交流を始める真理とマリー=ルーだったが、あるとき真理は急に具合が悪くなる。真理の病の進行とともに2人の関係は深まり、互いの魂を通わせ合うようになっていく・・・ |
【感想】
クチコミも良かったし、内容に深みがありそうと思ったので観てきました。ただ、3時間を超える上映時間なので、内容によっては苦痛になるかもという不安はありました。
まず、不安に感じていた上映時間の長さについては、その長さをまったく感じないほど、会話に引き込まれる内容でした。特に出来事やハプニングなどがあるわけではないのですが、静かな日本語とフランス語の会話の内容が心地よかったです。介護施設の運営と改革に悩むフランス女性・マリー、「近づいて見れば、誰もまともな者はいない」という演劇の演出家で余命幾ばくもない日本人女性・真理が運命的に出会って会話を重ねることにより、それによってふたりが変化していく姿を淡々と描いています。
評価の高い映画のようですが、私にはこの映画の意味や伝えたいことがダイレクトには伝わってきませんでした。最初から最後まで傍観者的な目で見ていたような感じでした。少子高齢化は資本主義の行きつくところだとか、資本主義が外部の人間の時間や自然の犠牲の上に成り立っているとか、そういう会話の内容に対してどうしても共感を持てず、冷めた目で見ていました。マリーが真理に質問した「不可能なことは可能だと思いますか?」という問いに対して、「不可能なものは不可能です。でも、可能になるまでは、です」というやりとりも、なんか言葉のお遊び的で、自分の力になる言葉にはなりませんでした。
真理が演出した清宮悟朗(長塚京三)の演劇も私には難しすぎました。イタリアで精神病院がどのように退廃していったのかという内容ですが、拍手するほどの内容として伝わってきませんでした。誰もがまともではなく、だから精神病患者も個性なのだと言いたいのかもしれませんが、私にはすっと腹に落ちて響く内容ではなかったです。
マリーの、現状の認知症の人たちに対する介護が人間として扱っていないことを問題視し、意識を持った人間として扱う介護を広げようとしている考え方には共感できました。しかし、そういう考え方で介護するには、介護する側に余裕がないと難しいという現実も見えますし、ケースバイケースのようにも思えます。ただ、そこはもっと認知症に対する理解を深める必要があるのかも知れません。
真理はマリーに会って何を得たのでしょう。介護施設であのようなことをすることが最後にやりたかったことなのでしょうか。マリーの側にいて力になることがすべてだったのでしょうか。そのあたりの理解力が私には不足していたようです。
3時間以上を興味を持って観ることができたということは、この映画で何かを感じることができたのか、そこが観終わった今でも明確にこたえられない映画だったように思います。こういう映画こそ、長女と一緒に観て、彼女がどう感じたかを話し合ってみたかったと思いました。
なお、この映画には同名タイトルの原作がありますが、「出会いが人生を変えた」ということをベースにストーリーもキャラクターもまったく異なっているそうです。 |
上記はあくまで私の主観です。あとで自分がその時にどう思ったかを忘れないための記録であり、作品の評価ではありません。
また、ネタバレの記述もありますので、ご注意ください。 |
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